大判例

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大阪地方裁判所 平成9年(ワ)9325号 判決

原告

甲田花子

右訴訟代理人弁護士

池田直樹

板垣善雄

位田浩

内海和男

氏家都子

浦功

大槻和夫

奥村秀二

幸長裕美

小田幸児

金井塚康弘

金子利夫

里見和夫

新井邦弘

重村達郎

竹下政行

丸山哲男

宮島繁成

河野豊

五條操

杉島幸生

二宮誠行

松山理香

被告

医療法人○○

右代表者清算人

川井謙一

被告乙川一郎承継人

乙川二郎

乙川三郎

丙山春子

右訴訟代理人弁護士

今中道信

丸山孝三

主文

一  被告医療法人○○は、原告に対し、金二一二一万一四一四円及びこれに対する平成九年一一月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告医療法人○○に対するその余の請求を棄却する。

三  被告乙川二郎、同乙川三郎及び同丙山春子は、原告に対し、被告医療法人○○と連帯して、各自金七〇七万〇四七一円及びこれに対する平成九年一一月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告の被告乙川二郎、被告乙川三郎及び被告丙山春子に対するその余の請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用は、これを一〇分し、その三を被告らの、その余を原告の、それぞれ負担とする。

六  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告医療法人○○は、原告に対し、金五七五〇万円及び内金二三〇〇万円に対する平成九年一一月一四日から、内金三四五〇万円に対する平成一二年九月一日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告乙川二郎、同乙川三郎及び同丙山春子は、原告に対し、被告医療法人○○と連帯して、各自金一九一六万六六六六円及び内金七六六万六六六六円に対する平成九年一一月一四日から、内金一一五〇万円に対する平成一二年九月一日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  事案の概要

本件は、原告が、亡夫が保安要員として勤務していた△△病院において巡回勤務中、同病院の患者らによる暴行及びその後の同病院医師らの不適切な処置により死亡したとして、△△病院を経営する被告医療法人○○に対しては、安全配慮義務違反、不法行為もしくは使用者責任に基づき、被告医療法人○○の顧問であった乙川一郎の承継人である被告乙川二郎、同乙川三郎及び同丙山春子に対しては、乙川一郎の安全配慮義務違反、不法行為、使用者責任もしくは代理監督者責任に基づき、その義務を相続した者として、それぞれ損害賠償を請求している事案である。

一  争いのない事実等(証拠等により認定した事実は証拠番号等を付す。)

1  当事者

(一) 被告医療法人○○(以下「被告○○」という。)は、肩書地に主たる事務所をおき、××病院(大阪市東住吉区住道矢田<番地略>所在)及び△△病院(大阪府柏原市大字高井田<番地略>所在)を開設する医療法人である。

△△病院は、標榜科、精神科及び神経科を診療科目としている病院である。

(二) 乙川一郎(以下「乙川」という。)は、昭和四四年一月、被告○○を設立し(ただし、旧名称は「乙川会」といい、同年一一月に名称変更された。)、理事長に就任した。乙川は、昭和五二年、理事長を辞任し、顧問となった。

乙川は、乙川病院(大阪市住吉区長居東<番地略>所在)の院長である。

なお、乙川は、平成一一年六月二七日死亡し、同人の子である被告乙川二郎、同乙川三郎及び被告丙山春子(以下三名を「被告乙川ら」という。)が、乙川の権利義務を相続により承継した。

(三) 原告は、甲田太郎(以下「甲田」という。)の妻である。

甲田は、平成六年四月二八日、△△病院内で勤務中、満五一歳で死亡し(甲1)、原告が、被告○○及び乙川に対する本件損害賠償請求権を単独で相続することになった(甲59)。

2  事実経過

(一) 被告○○は、平成六年一月、△△病院の保安要員として甲田を雇用した。

(二) △△病院の精神科では、入院患者が他の入院患者らに暴行され死亡するなどの暴行事件が起きていた(甲5)。

二  争点

1  甲田はどのようにして死亡したか。丁野四郎医師(以下「丁野医師」という。)の診療は適切であったか。

2  被告○○には、安全配慮義務違反があったか、不法行為責任があるか、使用者責任があるか。

3  乙川は、甲田の雇用場所での安全配慮に関して何らかの作為義務を負っていたか、そしてその義務に違反したか。

4  損害額はいくらか。

5  過失相殺がなされるべきか。

6  原告の請求権は、消滅時効により消滅したか。

三  争点に関する当事者の主張

1  争点1について

(原告の主張)

甲田は、平成六年四月二八日、酒気を帯びた状態で△△病院A棟三階を巡回中、患者のうち一名から、酒気を帯びて巡回しているとして抗議を受け、さらに暴行を受けるに至り、最終的には複数の患者から殴る蹴るの暴行を受け、階段下へ放り投げられた上で、消火器の消火剤の噴射を受けた。

また、被告○○は、従業員をして、患者らに暴行を受け廊下に倒れていた甲田をA棟一階の診察室に運ばせたのみで、その後駆けつけた丁野医師も、その心電図をとるなどの適切な処置を施さないままこれを放置し、同日、死亡するに至らしめた。

丁野医師は、死亡診断書に、甲田の死亡の原因を「狭心症」と記載しているが、その根拠は何もない。

(被告らの主張)

甲田は、自らの酒酔いとそれに対する患者からの抗議行動及び何らかの体質的欠陥が起因して、急に倒れ、急死に近い状態に陥ったもので、それを発見した被告○○の従業員は、すみやかに甲田を診療室まで運んだ。

そして、丁野医師は、診察室において、看護婦等に指示して、甲田に対して強心剤を打ち、点滴、酸素吸入、心マッサージの診療を行い、瞳孔、脈拍、呼吸の程度の確認によりその死亡を認定するまでこれを継続した。

2  争点2について

(原告の主張)

被告○○は、病院内に適切な人員を配置し、かつ施設内の異変を早期に確知するための設備機器を設置するなど、人的・物的両面において病院内の安全管理システムを整備し、もって病院内でその職員が患者から暴行を受けたりすることがないよう事前に防止すべきであったのに、これを十分に行っていなかった。また、万が一、病院内において職員に対する暴行事件が発生し、それにより職員が受傷した場合には、迅速に適切な医療上の処置をとり、もって職員の生命及び健康の保持に遺漏なきを期すべきであったのに、これを十分に行わなかった。

したがって、被告○○は、雇用契約に基づく安全配慮義務違反により、原告が被った損害を賠償する義務を負う。

また、被告○○は、過失により甲田を死に至らしめたものであるから、不法行為責任を負うし、しからずとも、使用者責任を負う。

(被告らの主張)

被告○○は、保安要員を巡回させる場合には複数人で巡回させることにしていたし、病院の各階に詰所をおいて、そこに看護士らを待機させ、異変が起これば、一緒に巡回する保安要員や看護士らが駆けつけて対処する体制を整えていた。また、廊下にはテレビカメラも設置していた。さらに、本件事故は、甲田が飲酒して巡回するという不適切な行動をとったことに起因するものであり、このような事態まで予測して対処することは不可能であった。

丁野医師は、診察室にいて、看護婦らに指示し、甲田に強心剤を打ち、点滴、酸素吸入、心マッサージの診療を行い、瞳孔、脈拍、呼吸の程度の確認により甲田の死亡を認定するまでこれを継続した。なお、心電図をとる余裕はなかった。

したがって、被告○○には、安全配慮義務違反も不法行為責任も使用者責任もない。

3  争点3について

(原告の主張)

乙川は、被告○○のオーナーとして、実質的に被告○○の経営する二つの病院の実際の運営を行っていたもので、実質的な経営者であり、被告○○の経営にかかる二つの病院及び同法人の人事に関しても完全に決定権限を掌握していた。乙川は、乙川病院と被告○○の経営する二つの病院(以下上記三つの病院を「乙川系三病院」という。)の間での看護婦・准看護婦の員数や異動についても指示を与えていた。さらに、乙川系三病院の職員の給料の支払には、必ず乙川の許可が必要とされ、入院患者が死亡した場合は、担当の看護婦やヘルパーに対して「罰金」を課して給料から天引きするなどしていた。

乙川は、乙川系三病院の事務員に対し、患者集めの指示を行ったり、実際には患者に対する診察を行っていないにもかかわらず、治療マニュアルを作成してそれに基づいて各患者の治療を行わせていた。加えて、乙川は、乙川系三病院の看護婦らに指示して、診療報酬明細書(レセプト)を作成させ、それを点検していた。乙川は、被告○○や同法人の経営する二つの病院の会計帳簿を全て管理しており、診療報酬等、乙川系三病院から上がる利益の管理・処分は、建物の管理等を含めて、全て乙川が行っていた。

このように、乙川は、乙川系三病院を完全に自己の支配下に納め、自由自在に操っていたのであって、人事・経理及び診療行為といった全ての面にわたり、指揮命令・監督権限を有し、私物化していた。

したがって、乙川は、甲田と直接雇用契約を締結したものと解することができ、また、そう解することができなくとも、信義則上、甲田との間で雇用類似の使用従属関係が生じていたということができるから、乙川は、甲田に対し、安全配慮義務を負う。

また、乙川は、甲田が、暴行を受けた直後に適切な救急処置を受けておれば延命の可能性があったのに、職員が、上記のとおり、適切な救急処置をとらなかったことにより甲田を死に至らしめたものであるから、民法七一五条一項の使用者責任を負う。

さらに、乙川は、被告○○に代わって△△病院の業務を監督していたものであるから、民法七一五条二項により代理監督者の責任を負う。

加えて、被告○○は、形式上医療法人であるが、財産上も業務上も個人病院である乙川病院と恒常的に混同・一体化しており、収支に関する区分が完全に欠如し、理事会が開催されたこともなく、乙川の一存で代表者の決定もなされていたのであるから、法人格否認の法理が適用されるべきである。

(被告らの主張)

乙川は、被告○○の顧問にすぎず、病院の安全管理システムを整備するよう指揮・命令すべき立場にはなかった。

4  争点4について

(原告の主張)

(一) 逸失利益

四九九三万六五七五円

甲田は、死亡当時被告○○に勤務していたが、就職後わずか四か月弱で死亡しており、その勤務内容・体制等が不確定であって、将来の収入も流動的であったから、同人の将来の逸失利益の算定にあたっては、全国の男子労働者の年令別平均賃金を基準とするのが合理的である。

したがって、平成六年の満五一歳の男子労働者の平均給与収入である年収七二一万四六〇〇円を基準とし、控除すべき生活費を収入の四割とし、中間利息の控除につき新ホフマン計数(11.536)を用いて逸失利益を算定する。

(二) 甲田の慰謝料

二五〇〇万円

(三) 原告固有の慰謝料

五〇〇万円

(四) 葬儀代 一〇〇万円

(五) 弁護士費用 三〇〇万円

(六) 合計

八〇九三万六五七五円

内金五七五〇万円を本件訴訟において請求する。

(被告の主張)

(一) 逸失利益は、甲田死亡当時の現実の収入を基準として算定すべきである。

(二) 甲田の慰謝料は高すぎる。

5  争点5について

(被告らの主張)

仮に、被告らに原告の主張する損害賠償責任があるとしても、甲田は、被告○○の指示に反し、酒気を帯びた状態で巡回していたのであって、この点を考慮すれば、原告の損害賠償額の算定にあたっては、三分の二以上の過失相殺をすべきである。

(原告の主張)

そもそも、甲田が、死亡当日、酒気を帯びて巡回していたという確たる証拠はない。甲田が酒気を帯びて勤務していたというのは、患者らの単なる言いがかりであったことも十分に考えられる。また、過失相殺における「過失」とは、損害の衡平な分担を図るために考慮すべき事情である。したがって、仮に、甲田が、死亡当日、酒気を帯びていたとしても、これがために患者らから突然激しい暴行を受けるということは、通常予見し得ないものであるから、過失相殺することは制度の趣旨に反する。

さらに、△△病院では、患者間での暴行や患者の職員に対する暴行事件が頻発していた。したがって、被告○○及び乙川は、甲田が酒気を帯びていたか否かにかかわらず、患者らによる暴行を未然に防止し、又は暴行を受けて傷害を負った者に対し、迅速かつ適正な医療上の処置を講ずべき義務を負っていたものであって、その程度に違いはないから、過失相殺すべきではない。

6  争点6について

(被告らの主張)

仮に、丁野医師及び戊村五郎について、原告主張の不法行為が成立するとしても、本件事故の発生は、平成六年四月二八日であり、本件訴え提起は、平成九年九月一六日であるから、原告が損害及び加害者を知った時より三年以上を経過しているから、被告らは、民法七二四条により、消滅時効を援用する。

また、少なくとも、平成一二年八月三〇日付け書面によってなされた請求拡張分は、時効により消滅しているから、被告らは、民法七二四条により、消滅時効を援用する。

(原告の主張)

争う。

第三  争点に対する判断

一  上記第二の一の1の事実及び証拠(原告本人、証人戊村五郎(以下の事実に反する部分を除く。)、同丁野四郎(書面審尋の結果を含む。但し、以下の事実に反する部分を除く。)、同A、甲1ないし5、9ないし56、57の1及び2、58、60)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  乙川は、昭和三一年に××病院を、昭和三八年に△△病院を開設し、昭和四四年には、上記二つの病院と、現在は閉鎖されている□□病院(大阪市住吉区内)を含めた三つの病院をまとめて経営するため、被告○○を設立した。

さらに、昭和五七年、個人病院である乙川病院を開設し、自ら院長に就任した。

そして、乙川は、乙川系三病院及び被告○○の実質的オーナーとして君臨し、経理面・資金面・人事面等運営全般について、細部に至るまで掌握していた。

乙川系三病院においては、昭和五〇年ころから、看護婦数の水増し報告や、過剰診療による診療費請求等が行われていたところ、昭和六三年ころ、乙川は、財団法人乙川記念医学財団を設立した頃から金銭に対する執着心がさらに強まり、乙川系三病院の経営方針は、利潤獲得を最優先とする営利本位となっていった。すなわち、乙川の経営方針は、人件費や医療設備費等の支出を極力切り詰め、保険料による収入を可能な限り高め、これによる収入は全て乙川の私財とするというものであった。

これに基づいて、乙川系三病院では、入院患者に対する水増し診療(しかも、全ての患者に対する診療が、直接患者を診察することのない乙川の決定した具体的指示と、同人により作成された治療マニュアルに従って実施される。これによって、保険機関の審査に抵触しない限りで、可能な限り過剰かつ画一的な診療を患者に対して施すことになる。)と、これを反映する内容虚偽のレセプトを作成することに、職員の精力が裂かれていた。乙川は、乙川の指示によって作成されたレセプト及びそれと矛盾しないように適当に書き込まれたカルテをチェックした上、保険機関に提出して診療報酬の支払を受けた。なお、乙川のみが、診療報酬の振込口座を管理していた。

また、乙川は、人件費の削減のため、看護婦数を常に医療法所定の人数以下に押さえるなどしていたが、員数の不足が発覚しないように、保健所の検査に対して種々の隠蔽工作をするなどしていた。そして、乙川系三病院では、平成五年ころからは、労務関係書類の偽装工作の場所を乙川病院に集中させ、乙川の直轄下に置くなどした。

乙川系三病院は、人件費が削減された結果、現実の診療や看護の内容は劣悪であり、診療や看護の体制が手薄であっただけでなく、設備費の削減により、病院内には冷暖房設備すらない状態で、物的体制も全く不十分であった。

さらに、乙川は、不正な経営方針を貫徹するため、看護婦や職員らに対し、絶対的な服従を強いた。職員の配置、稼動内容等は乙川の意向に従って決せられ、給与や賞与の在り方についても同様で、賃金面からの統制も加えられた。また、平成五年ころからは、乙川の意向に背く職員に対しては、罰金と称して給料から一定の金額を天引きすることもされており、他方、支度金や報奨金と称する前借金で職員らを懐柔し、職員らの離脱を食い止めていた。

しかし、乙川系三病院を退職する者は後を絶たず、平成九年三月ころからは、マスコミも、乙川系三病院に対する乙川の経営姿勢を強く批判するようになった。そして、乙川は、同年七月に逮捕されて起訴され、平成一〇年四月一四日、大阪地方裁判所において、詐欺及び労働基準法違反の罪により懲役三年及び罰金一〇〇万円に処する旨の判決を受け、平成一一年三月三一日、控訴も棄却された。

2  甲田は、平成六年一月中旬ころ、××病院の保安要員募集の新聞広告を見てこれに応募して採用され、同病院に勤務することとなった。

採用後、甲田は、看護婦の××病院から△△病院への自動車での送迎、乙川病院屋上の鳩の糞の掃除、乙川病院や××病院のトイレ掃除、△△病院での病棟の巡回等の職務に従事していた。

3  平成六年四月二六日朝、甲田は、××病院に出勤し、同日午後三時ころ、△△病院A棟三階において、巡回業務に従事していた。なお、上記病棟は、精神科の閉鎖入院病棟であった。

その後、甲田は、同病棟のホール付近のナースステーション前廊下において、同病棟の入院患者から、なぜ自分たちは飲酒できないのに飲酒して巡回しているのかと詰め寄られ、一〇名程度の入院患者から殴る蹴るの暴行を受け、身体を丸めて廊下に倒れ込んだが、暴行は止まらなかった。ナースステーションには、看護婦や准看護士らが何人かいたが、結果的には、誰も上記暴行を止めなかった。

その後、入院患者は、ぐったりとした甲田から、閉鎖病棟入口の鍵を奪った上、階段へ通じる鉄扉を開錠し、複数の患者が甲田の両手と両足を持って、階段下へ放り投げた。そして、廊下と階段に向かって消火器の消火剤が噴射されたため、その場に横たわっていた甲田に消火剤がかかった。

4  その後、午後四時前ころ、甲田は、廊下でぐったりしているところを職員に発見され、職員らによって、ストレッチャーに乗せられてA棟一階診察室に運び込まれたが、丁野医師が診察した段階では、すでに、脈拍及び血圧が測定不能なほど微弱であり、瞳孔反射も弱いものであった。丁野医師及び戊村らは、甲田に心臓マッサージ、酸素吸入及び点滴等を施したが効果はなく、結果的に午後四時二〇分ころ、甲田は死亡した。

丁野医師は、甲田の死因を「狭心症」として、甲田の死亡診断書を作成した。なお、甲田の遺体は、解剖されることはなかった。

5  原告は、甲田死亡当日午後四時三五分ころ、電話で甲田が死亡したことを聞き、病院へ赴き、△△病院に到着後、約一時間してから診察室へ通され、甲田の遺体と対面した。病院側は、原告に対し、甲田が気分が悪くなってうずくまるようにして倒れたなどと説明し、丁野医師が作成した上記死亡診断書を交付した。甲田の遺体はすでに浴衣に着替えさせられており、原告において、甲田の遺体を直接確認することはなく、また、被告○○もその機会を与えなかった。また、被告○○は、自ら甲田の葬儀の準備をして、葬儀屋にも直接依頼をしていた。

これに対し、原告は、甲田の死亡原因について特段疑うこともなく、葬儀等を済ませた。

葬儀後、原告方に匿名の電話等が度々かかり、甲田は殺されたものであるといった話がなされることもあったが、原告は、いたずら電話であると思い、相手にしなかった。

その後、平成九年になって、乙川病院の看護婦水増しによる診療報酬詐欺事件がマスコミで騒がれるようになり、原告は、新聞記者から甲田が入院患者の暴行により死亡したと伝えられ、その旨を知るに至った。

以上のとおり認められる。

二  争点1(甲田の死因及び治療の適切性)について

1  前記一の4のとおり、甲田は、入院患者から殴る蹴る等の暴行を受けて動けない状態となって倒れたが、消火器の消火剤を浴びた結果、ショック状態になってしばらくそのまま放置され、その後、心臓マッサージ、点滴及び酸素呼吸等の治療を施されたものの、回復せずに死亡したと認められる。

2  丁野医師及び戊村は、A棟一階診察室に運び込まれた甲田の身体に外傷がなかった旨供述する。

しかしながら、証人Bの供述並びに甲第9及び第10号証によれば、甲田は、飲酒した状態で△△病院A棟三階を巡回中、入院患者に、殴る蹴る等の暴行を受け、階段下に放り投げられたと認められるから、外傷がなかったとは信じ難い。証人Bの証言等は、非常に具体的で一貫性があり、自己の体験を証言しているものとして信用できる。

これに対し、証人戊村の証言は、廊下に倒れている甲田を発見し、A棟一階診察室に運んだが、甲田の身体には外傷はなかったというものであるところ、その証言内容には、一貫性がなく、終始、直前の証言を訂正するなど、真に体験した事実を証言しているとは考え難い点が多い上、廊下に倒れている甲田を発見してから同人がストレッチャーでA棟一階診察室に運ばれるまでの五分間に戊村がとったとする行動について述べるところは、自らが実際に体験した事実を述べているのにもかかわらず、しばしば前言を撤回するなど余りにも不明確で具体性がないばかりか、瀕死の状態の人間を目の前にした准看護士として採るべき行動としてはあまりにも不自然であり、採用できない。

また、証人丁野の証言も、証人戊村の証言と軌を一にするものであるが、上記のとおり、甲田が激しい暴行を受けていたことに鑑みると、採用できない。

甲田死亡後の被告○○のとった行動や、その他の詐欺事件等における組織ぐるみの隠蔽工作等に鑑みると、被告○○は、甲田の死亡原因について隠蔽しようと考え、職員らに対してその旨指示していたものと思われる。

3  しかしながら、丁野医師の措置に問題があったと認めるに足りる証拠はない。原告は、カルテ等が全く残っていない等から、適切な治療をしたとは到底考えられないと主張するが、丁野医師は、上記一の4のとおり、医師として、心臓マッサージや酸素吸入、点滴等を指示したものと認められる。

4  そうすると、甲田の異変に対する職員の対応に不適切な点があったとしても、丁野医師の甲田に対する措置自体は一応適切なものであったというべきである。

三  争点2(被告○○の安全配慮義務違反の有無)について

1  雇用主は、雇用契約に基づき、被用者の職務の遂行に際し、使用者の支配管理する人的及び物的環境から生じ得るであろう被用者の生命及び健康に対する危険の防止について、信義則上、安全配慮義務を負担する。

そして、被告○○は、多数の医師や看護婦等を雇用しており、当然、それらの被用者に対し、生命及び健康に対する危険を防止すべき義務がある。

2  ところで、被告○○においては、甲田が死亡した本件事故より以前に、看護士等による患者に対する暴行や一部患者グループによる他の患者への暴行が相当程度行われており(甲2ないし4、32)、平成五年には、△△病院に入院していた患者が他の患者に暴行を受け、死亡するという事件まで起きている(甲5)。

このような状況において、被告○○には、病院施設内に適正な人員を配し、かつ、施設内の異変を早期に発見するための設備機器を設置するなど、病院内の安全管理システムを整備して、病院内の秩序を維持し、かつ、異変に対しては早急に適切な措置を採ることができるように準備を整えておくなど、被用者等の生命及び身体を守るべく、特に厳重な注意を払う義務があったというべきである。

3  被告○○は、△△病院A棟三階にテレビモニターを設置しており、病院内の様子を詰所で監視できるような設備を整えてはいたものの、保安要員が巡回する際にモニターを監視する要員をおくなどの人的措置を施していなかったから、上記物的措置は不十分なものであったとしか評価できない。また、被告○○は、保安要員に対し、病棟内を巡回する場合には二人一組で行うよう指示していたが、そもそも保安要員の人数不足等から、上記指示は必ずしも徹底されておらず、これを徹底するための指導もなされていなかったから、人的措置もまた不十分であったといわざるを得ない。

4  以上によると、被告○○が、人的にも物的にも、病院内での暴行事件を防ぎ、被用者である保安要員の生命及び身体を守るべき安全配慮義務を尽くしたと認めることはできない。

四  争点3(乙川の作為義務違反)について

1  乙川は、前記一の1のとおり、乙川系三病院のオーナーとして、事実上、その経営権・管理権を完全に掌握し(理事らは、全くの傀儡にすぎず、絶対的な服従を強いられていた)、虚偽の診療報酬請求をするなど専ら利益を上げる目的で、経理面のみならず、診療内容(患者の収容方法等)を決定し、職員(看護婦・保安員)の員数・配置を定め、自ら面接して職員の採用を行い、その勤務場所や勤務内容の指示までもしていたもので、乙川系三病院を私物化し、その利益を擅にしてきた者である。

そうすると、乙川には、被告○○の経営に当たってきた者として、職員の身体・生命の安全が損なわれる虞れがあるような場合には、これを回避すべく、十分な措置を講ずる義務があったというべきである。(乙川には、それができたし、乙川をおいて、それをできる者はいなかった)。

しかるに、被告○○では、看護士等による患者に対する暴行や入院患者同士の暴行が相次ぎ、また、平成五年には、△△病院において、入院患者同士による暴行致死事件まで発生するという異常な事態が生じており、診療内容(患者の収容方法等)や職員の配置等を見直さなければ、入院患者や職員の生命・身体の安全が損なわれる虞れがあったものであるところ(甲田が暴行を受けていることを認識しながら、駆けつける者がいなかったいうことは、病院が正常に機能しておらず、入院患者や職員の生命・身体の安全に対する配慮が全くなされていなかったことのなによりの証左である)、乙川は、右事態を十分に承知していたにもかわらず、利益の追求を最優先させ、入院患者や職員の生命・身体の安全を蔑ろにしていたものである。

2  以上によると、乙川には、甲田を入院患者の暴行により死に至らしめた点について、不法行為責任があるというべきである。

五  争点4(損害)について

1  逸失利益

四六三三万二四六八円

甲田の死亡当時の収入については、これを証する証拠が提出されていない。原告は、甲田の将来の逸失利益を算定するにあたっては、被告○○における死亡当時の甲田の賃金ではなく、全国の男子労働者の年令別平均賃金を基準とするのが合理的であると主張し、被告らは、それについて、死亡当時の実際の賃金を基準とすべきであると主張するものの、その額について主張・立証をしない。したがって、本件において、逸失利益の根拠となる賃金については、原告主張の平均賃金を基準とするほかない。

そうすると、平成六年の賃金センサスによれば、満五一歳の男子労働者の平均給与収入七二一万四六〇〇円であり、甲田には、妻である原告と、当時成人になったばかりの娘と未成年の娘がいたから、控除すべき生活費等を四割としてこれを差し引き、さらに就労可能年数(一六年)に対応するライプニッツ係数10.8377を積算すると、逸失利益は、四六九一万三八〇二円と認めるのが相当である。

2  甲田及び原告固有の慰謝料

二〇〇〇万円

甲田は、生前一家の支柱であったのであるから、甲田の死亡によって、甲田本人及び原告の精神的損害に対する慰謝料は、二〇〇〇万円とするのが相当である。

3  葬儀代 八〇万円

甲田の死亡による葬儀費用としては、八〇万円とするのが相当である。

4  弁護士費用 三〇〇万円

本件にかかる弁護士費用として本訴訟において認められる金額としては、三〇〇万円が相当である。

5  上記合計

金七〇七一万三八〇二円

六  争点5(過失相殺)について

1  上記一の3のとおり甲田が入院患者の暴行を受けて死亡したことの直接の契機は、同人が酒気を帯びて病院内を巡回していたことであると認められる。病院内の秩序を確保すべく採用された保安要員自身が、日中、飲酒の上、病院という医療の現場において、巡回勤務に従事することは、保安要員として当然要求されるべき職務遂行上の忠実義務に反することは明らかであるところ、上記甲田の忠実義務に違反する行為によって、入院患者の暴行を誘発し、不幸にして自らの死を招いたものである。

その上、証拠(甲9)によれば、甲田は、従前から周囲の者にアルコール中毒であると思われていたもので、勤務中の飲酒も死亡当日のみではなかったことが認められること等に鑑みれば、その過失割合は七割とするのが相当である。

そして、甲田の過失は、原告にとっても被害者側の過失として斟酌すべきことは当然である。

2  したがって、原告が被告○○に対し支払を求めることのできる損害賠償は、前記五の5記載の額の三割である金二一二一万一四一四円とするのが相当である。

また、被告乙川らは、乙川の地位を相続によりそれぞれ上記損害賠償責任を三分の一ずつ承継したのであるから、原告に対し、被告○○と連帯して、各自金七〇七万〇四七一円の支払義務があることになる。

3  なお、原告が、被告○○に対し支払を求めることができる額は、不法行為責任ないし使用者責任とみても異同はないし、被告乙川らに対し支払を求めることができる額もまた、仮にその余の主張が認められるとしても同様である。

七  争点6について

1  前記三のとおり、本件において、被告○○に認められる損害賠償請求権は、被告○○の安全配慮義務に基づく損害賠償請求権であるところ、上記請求権は、被告○○と甲田の雇用契約の債務不履行に基づく請求権であるから、その消滅時効は一〇年である(民法一六七条一項)ところ、本件において、原告に損害賠償請求権が発生したのは、平成六年四月二八日であって、本件口頭弁論終結時においても一〇年は経過していない。

2  また、被告乙川らに認められる損害賠償請求権は不法行為に基づくものであるところ、前記一の5のとおり、原告が、被告○○の安全配慮義務違反及び乙川の不法行為の事実を知ったのは、平成九年になってからのことである。本件訴えは、平成九年九月一六日に提起され、損害額の内金二三〇〇万円を請求したものであるから(平成一二年八月三〇日の請求拡張分は除く)、本件で認められる金二一二一万一四一四円の請求について、消滅時効にかからないことは明らかである。

八  結論

以上のとおりであって、原告の請求は、主文第一及び第三項の限度で理由があるからこれを認容し、その余の部分については理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法六五条、六四条、六一条を、仮執行の宣言について同法二五九条を(但し、主文第三項については相当でないので付さない)、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・佐藤嘉彦、裁判官・種村好子、裁判官・頼晋一)

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